神田明神の祭りもすんで、もう朝晩は袷でも薄ら寒い日がつづいた。うす暗い焼芋屋の店さきに、八里半と筆太にかいた行燈の灯がぼんやりと点されるようになると、湯屋の白い煙りが今更のように眼について、火事早い江戸に住む人々の魂をおびえさせる秋の風が秩父の方からだんだんに吹きおろして来た。その九月の末から十月の初めにかけて、町内の半鐘がときどき鳴った。 「そら、火事だ」 あわてて駈け出した人々は、どこにも煙りの見えないのに呆れた。そういうことがひと晩のうちに一度二度、時によると三、四度もつづいて、一つばんもある。二つばんもある。近火の摺りばんを滅多打ちにじゃんじゃんと打ち立てることもある。町内ばかりでなく、その半鐘の音がそれからそれへと警報を伝えて、隣り町でもあわてて半鐘を撞く。火消しはあてもなしに駈けあつまる。それは湯屋の煙りすらも絶えている真夜中のことで、なにを見誤ったのかちっとも要領を得ないで引き揚げることもある。しまいには人も馴れてしまって、誰かが悪戯をするに相違ないと決まったが、ほかの事とは違うので、そのいたずら者の詮議が厳重になった。 歯科 ホームページ制作 可惜花を散らす
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