こう考えてみれば、別に不思議がるにも及ばないのであるが、好奇心に富んでいるこの長屋の人たちは、不思議でもないようなこの出来事を無理に不思議な事として、更にいろいろのうわさを立てた。 「いくら昔の家来すじだって、今どきあんなに親切に世話をする者があるか。何かほかに子細があるに相違ない。おまけに、あの人は洋服を着ていることもある。」 この時代には、洋服もひとつの問題であった。あるお世話焼きがおすま親子にむかって、それとなく探りを入れると、母も娘もふだんから淑《つつ》ましやかな質《たち》であるので、あまり詳しい説明も与えなかったが、ともかくもこれだけの事をかれらの口から洩らした。 ここへたずねてくる男は、おすまの屋敷に奉公していた若党の村田平造という者で、維新後は横浜の外国商館に勤めている。この六月、両国の広小路で偶然かれにめぐり逢ったのが始まりで、その後親切にたびたび尋ねて来てくれる。そうして、ただ遊んでいては困るであろうというので、彼が百円あまりの金を出してくれて、表通りの店をゆずり受けることになった。――こう判ると、すべてが想像通りで、いよいよ不思議はないことになるので、長屋の人たちの好奇心もさすがにだんだん薄らいで来た。そのあいだに、おすま親子は表の店へ引移って、造作などにも多少の手入れをして、十二月の朔日《ついたち》から商売をはじめた。 ゴミ部屋 aiueo > Home
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